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佐仁集落では今も大島紬を織っている!?観光ではなく、伝統文化がリアルに見れる場

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到達時間
奄美空港から車で17分程
おすすめ度
★★★★★

行き方

地図

住所

〒894-0627 鹿児島県奄美市笠利町大字佐仁34−1

実際に行く方法

手順1.

奄美空港から車で20分ちょっとです。空港から右折して北部へ向かいます。

手順2.

道沿いをずっとまっすく行くと右手に佐仁集落が見えてきます。こちらが入り口になります。

伝統文化紹介

概要

フランスの「ゴブラン織」、イランの「ペルシャ絨毯」と並び、世界三大織物に数えられる「大島紬」絹100%、織る前に糸を泥で染める先染めを行い、手織りの平織りで、絣合わせをして織上げたもの。

優雅な光沢を持ち、しなやかで軽く、シワになりにくいという特徴がある。150年から200年着られる丈夫な織物と言われている。

「テーチ木」(シャリンバイ)という奄美の植物の煎汁液と、鉄分を含む泥土でこげ茶色に発色させ、手織りする伝統的技法。

1つ作り上げるのに半年から1年もの時間を要する。

デザイン

デザイン柄は、男性と女性で分かれている。

男性用の代表的なものは、亀甲柄、西郷柄、有馬柄、伝優柄、白雲柄など。

女性用柄模様としては龍郷柄、古典模様、幾何学模様、草花模様、更紗模様、モダンアートなど。

歴史

1300年前にはすでに奄美では文化として根付いていたと言われている。

初めは島民たちが自分自身のものとして織られ、愛用していた。しかし、江戸幕府の支配下になった際に、薩摩藩への上納品となった。庶民が身に付けることを禁止となる。自分で織った紬を手元に残してきたいと思い、役人の取り調べにあった農家の主婦が泥田の中に隠したという。洗ってみると、なんとも美しい、光沢のある黒に染まっていた。一説には、これが泥染の始まりと言われている。

1903年には、第五回内国勧業博覧会にて宮内省が買い上げ。需要が定着し、明治末期には多数の工場が出来る。素材の変化、生産技術の向上により生産は急増したが、粗製品が出回り、信用を失って価格暴落。

1901年に業者の統一、進歩発展、製品検査による粗製品の防止と品質の向上を図ることを目的として、奄美大島の名瀬 (奄美市) に鹿児島県大島紬同業組合が設立。現在の本場奄美大島紬協同組合の前身。

1904年、三越呉服店によって、流通構造は劇的に変化。百貨店では工芸品が扱われ、消費者と職人との間で円滑な売買が実現。

1955年には、白地大島紬と色大島紬が、1958年頃には絣の摺り込み染色法と抜染加工法が、1973年には白泥で軽やかな染め上がりの白地泥染大島紬が開発。

1975年には、国の伝統的工芸品に指定。1976年には、生産高のピークを迎え、70万3000反もの製品が作られる。

そして、2021年現在。衣服の多様化、海外からの流入などにより安価で性能の高い衣服が出回っているため、大島紬の需要が減っている。作り手の伝統継承ができなくなっている。それは需要だけでなく、とても難しい技術に対して、作り手の対価が明らかに見合ってないからです。製品やサービス開発、作り手への還元が伝統を残すための急務となっている。

体験レポート

佐仁集落の各家には、大島紬の機織り機があるんです。(もちろんもうない家もありますが。)

時間の空いているお昼過ぎに、暇つぶしで織っているそうです。伝統文化がリアルにまだ生きているんです。こんな貴重な体験ありませんよね!

作り方をご親切に教えてくださいました。

「織って納品するまで、どのくらいかかるんですか?」

「これ複雑だから6ヶ月かな~」

どれが複雑で、どれが簡易的なのか?全くわかりません、、、、

「若い人に教えたりしないんですか??」

「婿のお嫁さんに教えたんだけど、難しいようで、、」

「何が一番難しいですか?」

「縦糸と横糸をこうやって合わせるんだけど、、、」

これ、手の感覚なんでは、、、、これは経験と感覚でしか身につかないかもしれません。

「この絹糸は他で初めてるんですか?」

「染めたり、それを服にしたりするのはそれぞれ別の人だよ~」

ここでは織るだけなんです。一人では到底できませんね。みんなで一つの服を作るイメージです。それぞれが手作りで伝統になっているようです。

「糸が上下に分かれてますが、、、」

「これが紬の設計図だよ」

これがまた細かくすごい図面が出てきました。上の糸1689本?下の糸が何本?と書かれています。そして縦糸と横糸をどうするか?指示しているようです。これまた貴重なものを見せてもらいました。

「これいくらで作ってるんですか?」

「6ヶ月で??円だよ」

(これはちょっと言えないですね)

設計図面、製作工程の多さ、染める技術、織る技術などそれぞれのハードルがめちゃくちゃ高い!これを「伝統文化を残さなきゃ!」とは、簡単には言えなくなりました。。。それでも何かしらの形で残さないと!と思うわけです。もう、作り手はおじいちゃん、おばあちゃんばかり。若い人は作れない。もう時間が残されていません!なんとか、アイデア出さないと、、、みなさん、助けてください。私も考えるので。